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コラム

なぞかけ(岡村さん)と仏教(土江さん)

フォーカシング的な問いかけをめぐって、岡村心平さんと土江正司さんの興味深い話題提供がありました。

 フォーカシングプロジェクト主催の第3回「ジェンドリンの哲学や仏教を体験的に語り合おう」が3月6日、ズームで開かれました。
 最初に、岡村心平さん(神戸学院大)が、なぞかけと禅問答について語りました。岡村さんは、帰宅途中に歩きながら、なぞかけフォーカシングをした体験を披露。なぞかけは、今のある状況を思い浮かべた時に、たとえや象徴的な言葉(A)が浮かんだとすれば、「Aとかけて、今の状況と解く、その心は…」と尋ねます。日本独自の言葉遊びです。
 ジェンドリンのフォーカシング簡便法6ステップの5番目の「尋ねる」にあたります。「フォーカシングの本質は、問いかけ(asking)にある。ジェンドリン哲学における、状況と言葉との交差(crossing)の機能。禅問答にも同様の特徴がある」と説明しました。
 「問いかけ」のコツは、「答え」を求めて攻めるのではなく、「問い」を置いていって待つこと。楽しむこと、くつろげることが大切だと言います。
 話し手がフェルトセンスをハンドル(取っ手となる言葉)で表現したときに、わからないところを尋ねるのです。
 土江正司さん(心理士、ヨガ教師、僧)は、「感じていることすべてが仏教では『苦』と言える。苦を眺めていると、本質的変化が訪れる。フォーカシングは小さなさとりのプロセス」と話しました。仏教では「体験するしかない」「ただ座れ」と言われたり、「創造性」について理論に入っていなかったりします。ジェンドリンの哲学では創造性が説明されているのが、「すごいところ」と対比しました。
 仏教の「空」(くう)とは、すべての事物は関係によって存在し得ているという意味だそう。土江さんは「空であるのに、つい固定観念で事物を見てしまうところに苦が生じる。フォーカシングによって固定観念から解放されるところは、「正定」(さとり)と同じプロセスと考えられる」と言います。
 また、「心の拠り所をどこに?」という問いを立てました。現実のだれかに置くと、喪失の危険があり、グループみんなで同じ対象を拠り所にすると、排他的になることから、「体験過程が最も信頼できるのでは」と語っていました。