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小坂さんの論文が学会誌に

 1月に札幌でフォーカシング指向表現アーツ(FOAT)のワークショップを開いた小坂淑子さん(北大)の論文が、日本人間性心理学会の学会誌第41巻第2号2024年に掲載されました。
 論文は「若年無業者の職業準備性に対するフォーカシング指向表現アーツの効果」です。若年無業者とは、高校や大学などに通学しておらず、独身で、ふだん収入になる仕事をしていない15歳以上35歳未満(内閣府)を指します。小坂さんは20代と30代の9人を対象にFOATのグループワークを実施しました。
 その結果、「自己充足志向」や「自己の情動評価」の点数が実施前に比べて上昇。アートワークの体験が、興味関心やモチベーションを向上させる方向につながったり、気持ちを客観的に評価できるようになったりする傾向がみられました。
 面接では、若年無業者から、社会的規範へのとらわれや体調不良、孤立傾向があったことが語られました。今回のワークを通じて、今ここで感じている、具体的に何をしたいか、何ができるかを表現し、仲間と共有しました。それによって、職業準備の一部である精神的な回復、自他への肯定的な理解、主体的な将来への展望を見いだすことができた、と結論づけました。
 

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【俳句】春の季語を公開

 この冬はいつもより雪が多かったように思いましたが、実際どうなのでしょう。除雪状況との兼ね合いがあるので、見た感じでは本当のところがよくわからないのかもしれませんね。そして一気に進む北海道の春、ちょっと立ち止まって、目を凝らし、耳を澄ませば、馴染みのものごとですらまた新鮮に感じられるかもしれません。

 というようなわけで、春の季語をオープンしました。お時間のあります時に、もし気が向いたら、試しに作ってみてください。何せ、自分だけでわかりゃ良いという「なんちゃって俳句」ですから、お気軽に、お気楽にどうぞ。そして、是非是非ご投稿を。

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「体験過程と意味の創造」から考察

 日本フォーカシングプロフェッショナル会主催の講演会が1月8日、オンラインで開かれました。TIFI認定フォーカシングトレーナーの田中秀男さんが「『体験過程と意味の創造』から見たフォーカシング」と題して講演しました。
 「体験過程と意味の創造」(ECM)はジェンドリンの初期の哲学的主著です。1962年に公刊され、日本語訳は1993年に出版されています。この中で、感じられた意味(felt meaning)とシンボルとの7つの機能的関係が説かれており、田中さんはその一つの「直接参照(direct reference) 」に基づいて、フォーカシングセッションの逐語記録を検討しました。
 直接参照は、「この感じ」「それ」など指示代名詞を使って、感じられた意味に向かうことです。このとき、シンボル(言葉)の役割は、感じられた意味を指し示すこと、引き立たせることだけ。適切に言えているかどうかという問題が存在しません。
 田中さんは逐語記録で、フォーカサーが新鮮な言い回しをする直前に生じる短い沈黙に着目。その前にリスナーが「ちょっと、それに軽く触れてみて、そうしたら何が出てくるかを見てみましょう」という教示をしていました。「それ」に何も押しつけず、「それ」から何が出てくるのかを待つようにという教示が、効果を挙げた例としました。
 ジェンドリンのフォーカシング簡便法にある、フェルトセンスの取っ手のような「ハンドル」表現が見つかっても、リスナーの「その感じと一緒にいてみましょう」などという教示を受けてフォーカサーが短い沈黙をしていると、表現が変わっていくことがよくあります。
 田中さんは、これらをECMでいう「創造的遡行」を呼びました。
 このほか、「感じられた意味」は、日常生活で常に機能しており、フェルトセンスの形成されていないものを含む広い概念であることなど刺激に富む講演でした。
 
 

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【俳句】冬の季語を公開

 一気に気温が下がったと思いきやまた暖かくなるなど、どうにも安定しない天候が続きます。コロナから解放されたように感じて活動レベルを一挙に上げている方や、まだまだ慎重に構えている方など人それぞれですが、心理的な制約感はかなり緩んだように感じられます。大切なのは、自分が自分としてひと息つける時間や場所を持てているかではないかなぁと思います。それが確認できていると、おのずからパワフルになれるのかもしれません。

 というようなわけで、冬の季語をオープンしました。来年の桃の節句までの期間、お時間のあります時に、もし気が向いたら、試しに作ってみてください。「なんちゃって俳句」ですから、お気軽に、お気楽にどうぞ。そして、是非是非投稿してみましょう。

 

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フォーカシング指向表現アーツWS

 表現アートセラピーとフォーカシングを統合したフォーカシング指向表現アーツセラピー(FOATⓇ)のワークショップを1月13、14の両日、札幌市社会福祉総合センターで開きます。満席となりました。
 1月の札幌フォーカシングプロジェクト例会は休みになります。
 このホームページの「ワークショップ」に詳しい説明があります。講師の小坂淑子さん(北大学生相談総合センター講師)は、この分野で国際的な研究を進めています。コルビーという人型に自分のカラダの感じを表し、自分にやさしくする練習もします。上の写真はコルビーに自分の感じを表すものを置いた作例です。
 
 

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【俳 句】 夏のお題を公開

天候が年々おかしくなっていくようで、気温の上下も結構激しく、年齢的なこともあってか調整のしづらさを感じます。おかしいといっても、「人間にとって」そう思われるだけなのでしょうが。体調管理にはお気をつけください。

日本ではまだちゃんと季節が移ろいます。そろそろ夏めいてきました。5月下旬には大通公園のライラック祭りで、ゴスペル・デビューを果たしました。総勢12人中、唯一の男性として。デビュー戦はまぁ3回1分12秒TKO負けといった感じでしょうか。相当に緊張してしまったのです。幼稚園時分、運動会の入場行進で全身が固まって、一歩も進めなくなってしまったこと(自分は覚えてないが、親から聞かされた)を思い出しました。元来おっそろしい「緊張しぃ」なんですねぇ。

さて、夏のお題を決めました。これで9月3日(日)までいきますね。今回は珍しく予定通りのタイミングでお題の更新ができました。よかったら投稿ページをご覧になって、遊んでみてください。

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「プロセスモデル」刊行記念シンポ

 ジェンドリンの哲学の主著「プロセスモデル」の刊行を記念した特別シンポジウムが2月23日、オンラインのズームで開かれました。
 全国から124人が参加。シンポはユーチューブで公開されています。
本は著者割引で定価より1000円安い6500円送料込みで買えます。希望者は氏名、住所、電話番号を書いて末武康弘さん(suetake@hosei.ac.jp)にメールを送ってください。
 日本語に訳したのは、末武康弘さん(法政大)、得丸智子さん(開智国際大)、村里忠之(宮カウンセリングルーム)さんの3人です。18年間かけて共同で翻訳してきました。
 司会の諸富祥彦さん(明治大)が読後感として「われわれが日々の小さい仕事に心をこめてやっていることの意味を実感できる本。日々の小さいことが人類の進化につながっている。とても大きな視野の中に位置づけできる」と話しました。
 1章から6章までを訳した末武さんは、「原著は20世紀末の1997年に本の形で初めて公開された。19世紀末の1897年にはフロイトが催眠カタルシス療法を断念し、自由連想法を適用した」とこの日朝思いついたことを語りました。ジェンドリンは、20世紀末に身体、自然からシンボルや文化、人間的営為への発展の軌跡を描いたというのです。この本の一番の魅力は「身体と自然の復活」。時間について、最初に時間があるのではなく、生命が生きることで時間と空間が生まれるという理論を提起。確かに、私たちが死ねば、私たちにとっての時間はなくなります。
 7章を訳した得丸さんは「この本にあるTAE(エッジで考える)を使えば、私たちも直接照合体からさまざまのものをつくれる。楽しい本。飽きない。どこから読んでもわからないが、わかると、どこを読んでもわかる」と述べました。
 8章を訳した村里忠之さんは「自然から出発し、自分を取り戻す本だから読んで楽しくなる。知識を伝達している本ではない。難しいけど、自分の何かに触れて、細胞が生き生きしてくる感じ」と語りました。

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【俳 句】冬のお題を公開

ついうっかりしていて(前回もでした)、更新し損なっていましたが、2023年3月5日までの期間を、冬に充てますね。

NHK俳句12月号が店頭に並んでいますが、なんと佳作に2点入りました。2022年はこれで6回目の採用となります(いずれも佳作)。2つというのは自分には滅多にないことでありまして、これで気持ちよく年を越せるように感じました。

ヴォーカルの個人レッスンを始めて3カ月目になりました。月2回で1回あたり45分、ストレッチや発声練習と、先生と相談して決める課題曲の練習とが半々の構成です。ちなみに今取り組んでいる課題曲は、玉置浩二さんの「メロディ」。普及版とギター弾き語り版と2種類やってます。玉置さんはすさまじい表現力を持っていることを実感!来年からはスティービー・ワンダーや、ひょっとするとホイットニー・ヒューストンなんかもやるかもしれません。楽しみでワクワクしています。

寒さ厳しき折柄、身も心もご健康に留意なさりつつ、新しい日々を重ねてまいりましょう。

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煩悩とフェルトセンスについて

 9月に沖縄で開かれたフォーカサーの集いで、フォーカシングプロジェクトが「ジェンドリン哲学や仏教を体験的に語り合おう~煩悩とフェルトセンス」という出店を開きました。講師を務めた岡村心平さんと仁田公子さんの話した内容が、ユーチューブで公開されたのを機に紹介します。
 岡村さんによると、フォーカシングが、なぜ身体感覚(フェルトセンス)を大事にするかというと、身体はどんなふうになったらいいかを知っているからです。フェルトセンスは、自分がどうなったらいいかを知っている、謎めいた存在です。
 環境と相互作用している身体は、環境を含意しているとジェンドリンは言います。含意の仕方は同時的なものだけでなく、まだ生じていない出来事も含みます。空腹は、食べ物の探索を含意し、食べ物の発見は摂食を含意しています。含意へと向かって生起するという方向性を伴い、含意に向かって生起した出来事は、食べると空腹感がなくなるように、含意自体を変化させます。こうした機能的円環の中で、フェルトセンスが存在するということは、何らの身体のプロセスの停止、欠如、何かが足りない(未完了)ということです。
 身体は未来において生じうる生起を「予感」していると、岡村さんは語りました。実際に幸せか満ち足りているかどかではなくて、「幸せの予感」があるかどうかで幸せは決まるのではないか、とも話しました。
 仁田さんは、煩悩とは、わずらいや悩むことなどと説明。生きていると避けられないものですが、「悟りへの入り口になる」と述べました。子を亡くした母親が仏陀に子を生き返らせる薬を求めたところ、死人の出たことのない家でもらいなさいと言われました。訪ね歩いた結果、どの家でも死んだ人の方が生きている人より多いと知り、救われます。仁田さんは「フェルトセンスも煩悩もきっかけになるものだから、人生は面白い。どんなに人生が苦しくても大変でも引き返したり、逃げたりしないで、それを体験し続けることで、硬くて重たいこころの扉が開き、別に地平が広がるきっかけになる」と投げかけました。

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俳句<秋>のお題を公開しました(遅!)

ついうっかりしていて、更新し損なっていましたが、12月4日までの期間を、秋に充てますね。

沖縄での「集い」では、「俳句で交差〜フォーカシング的に俳句を作る」と題して、出店を開きました。11人ご参加いただき、そこそこ楽しんでいただけたようでした。

これから急に気温が低下するようです。次第に環境適応力が衰えてくるのを感じますが、不思議と意欲は衰えを知らず、近々ヴォーカルの個人レッスンを始めようかと準備しています。幾つになっても、何かを始めることはできるんだと思います。

少しは、座右の銘「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」に近づいているかなぁ?